高校教師、辞めました。

教育現場の裏側や問題点、とにかくいろいろなことを語ります。

部活動で「暴力」をふるう愚か者は、今すぐ重い処分が下されるべき

こんにちは。masaです。 

 

 

今日も、教育ネタについて記していきます。

最近は、教育に関する明るいネタというよりか、暗いネタばかりで、なんだかやるせない思いです。

 

次のような記事を読み、心を痛めました。

www.kanaloco.jp

教育で一番の問題となっている「部活動」指導。教員の立場からは「長時間労働」を強いられるとして、政府がようやく対策に動き出しています。

 

しかし、生徒の立場からも、あろうことか教師からの言葉と暴力によって人生を狂わせられるという、なんとも信じがたいことが起こっているようです。

 

このことに、非常な憤りを抱いています。

 

 

 

部活動は何のための部活動か

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この記事を読んで思うこと。それは「部活動は何のための部活動」なのか、ということです。

 

  • 指導者の地位や名誉を高めるための部活動 → 大きな間違い
  • 学校の評判を上げるための部活動 → 間違い
  • 大会や試合で実績を残すための部活動 → 間違い

 

生徒に暴力をふるい、暴言を吐き、精神をズタボロにする教師は、いったい何のために部活動を指導しているのでしょう。

 

指導者の絶対的な地位を確立するため。学校の評判を上げるため。大会や試合で実績を残すため。

 

これらは、明らかに間違ったタイプの指導動機。しかし、これらの動機があったとしても、この記事に出てくる教師の執拗な暴力や嫌がらせは、まったく理由にはならない。

 

被害者側が訴えれば、刑事事件に発展したとしても不思議ではないのです。

 

 

教育上の部活動の立ち位置

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教育上の部活動の立ち位置は、指導要領上「生徒の自主的な活動」です。 

 

運動部活動の現状について(スポーツ庁)

 

そして、部活動顧問は「部員の活動を支援し、アドバイスを与える」立場でしかない。

 

 

 

勝利至上主義が、教育活動を歪ませる

 

勝利至上主義が、教育活動を歪ませます。

 

部活動でよい結果を得るべく、指導者が生徒を抑圧し、暴力をふるい、人生を転落させるようなことがあっていいでしょうか。

 

人生を終えてしまう決断を、生徒にさせていいでしょうか。

 

そんな権利を、ただの一人の教員、部活動顧問が有しているのでしょうか。

 

そんなはずはありません。 

 

部活動で勝利を得ること自体に、何の意味があるのでしょう。

 

 

楽しむことこそ、スポーツの本来の原点

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この記事の最後の文章を引用してみます。部活指導者から暴力を受けていた飯田さん(仮名)が、改めて野球をプレーしている場面。

 

 かつては中学、高校と息子が実力を伸ばすほどに「次の打席こそヒット、その次も…」と強い期待を前面に、手に汗握っていた。その価値観は今、がらりと変わった。

 「プレーボールからゲームセットまで、2時間待って息子の出番はこの1打席。でも今はこれで十分」「汚れたユニホームをごしごしと洗える。それが幸せ。あの頃からは考えられないよね」。日常のありふれた光景にこそ幸せがあることを、両親は改めて実感した。

 結果は、見逃しの三振―。打席で天を仰ぐ我が子を見詰め、感慨深げに母が言い、父が深くうなずいた。

 「あの子が野球を始めた頃、こんな感じだったよね」

 楽しむというスポーツの原点が、そこにあった。 

 

これが、本来のスポーツのあるべき姿。

 

指導者に追い詰められて、負けることにおびえて、恐怖心から結果を残すことが、スポーツではない。

 

部活指導で、生徒の未来をつぶしてしまうことを、私は許すことができません。

重い処分が下されるべき。

 

 

 

今日はこんなところです。いつもより、感傷的になってしまいました…

最後までお読みいただき、ありがとうございました<m(__)m>